この、三条市と燕市はなぜか?昔から仲が悪く(^_^;
三条市と燕市の間に作った新幹線の駅は、『燕三条駅』、
同じく市と市の間に作った高速インターの名は『三条燕インター』、
どっちが公共料金を支払っているかによって、名前が上下していると聞きました。。(幼少のころに・・・)
三条市と燕市の間に作った新幹線の駅は、『燕三条駅』、
同じく市と市の間に作った高速インターの名は『三条燕インター』、
どっちが公共料金を支払っているかによって、名前が上下していると聞きました。。(幼少のころに・・・)
あの、平成の大合併ですら、一緒にならず・・・ 何なんでしょうねぇ。。
発祥が約70年ほど前、夜遅くまで働く労働者のために、
伸びにくく、スープが冷めにくく、腹持ちのいい食べ物を、ということで
考え出された賜物だそうです。
伸びにくく、スープが冷めにくく、腹持ちのいい食べ物を、ということで
考え出された賜物だそうです。
なので、麺はホント、うどんみたいに太く、
スープは濃い目の煮干醤油に背脂チャッチャ系で、薬味は刻みたまねぎたっぷり!
でもね、食べるとハマるんです♥
おまけに餃子。
昔は7個で700円くらいだったので、
裏メニューの半餃子で、3個350円で出してくれてた記憶があるのですが、
もうその裏メニューもないみたいですね。。
昔は7個で700円くらいだったので、
裏メニューの半餃子で、3個350円で出してくれてた記憶があるのですが、
もうその裏メニューもないみたいですね。。
先日頼んだら、5個で700円くらいでした◎ 値上がりしたのねん。。
たまたまか、ちょっと今日の餃子はベタベタ気味。。
本当は、こんなにカリッ!と揚がっていて美味なんです♥
(2003年2月の画像です)
(2003年2月の画像です)
お盆中、おまけに夕方5時前と言う中途半端な時間に行ったにもかかわらず、
店内はほぼ満員で、次から次へと入れ替わり・・・
店内はほぼ満員で、次から次へと入れ替わり・・・
駐車場も広いんです、
ナンバープレートをみたら、県外が3割、地元が7割って感じでした◎
ナンバープレートをみたら、県外が3割、地元が7割って感じでした◎
新潟の名物ラーメン、一度ぜひ、食してください(^_-)-☆
ごちそうさまでした♥
【燕三条系ラーメンの発祥の云われ】
どこよりも早く、日本で最初にこの背脂ラーメンが生まれたのが、
新潟県燕市であろう、と言われていることはあまり知られていないそうです。
その歴史は昭和初期まで遡ります。
昭和初頭、当時まだ利用価値が無く廃棄されていた豚の背脂を、
先人がラーメンに使えないかと考えたのだそうです。
その背景には、当時数多かった栄養失調の子供達を少しでも力づけたいという、
先人の思いが込められていたそうです。
やがて高度経済成長を迎えると燕市は、洋食器の町として繁栄し、
夜遅くまで稼動する工場からは大量の出前注文が入るようになりました。
そこで向上の労働者達に、旨いラーメンでお腹一杯になってほしいとの思いから、
時間が経ってもスープが冷めないようにと、背脂をたっぷりと浮かせ、
麺も延びにくいようにと、まるでうどんのように太くし、ボリュームたっぷりに改良されていきました。
これが燕三条ラーメンのルーツです。
どこよりも早く、日本で最初にこの背脂ラーメンが生まれたのが、
新潟県燕市であろう、と言われていることはあまり知られていないそうです。
その歴史は昭和初期まで遡ります。
昭和初頭、当時まだ利用価値が無く廃棄されていた豚の背脂を、
先人がラーメンに使えないかと考えたのだそうです。
その背景には、当時数多かった栄養失調の子供達を少しでも力づけたいという、
先人の思いが込められていたそうです。
やがて高度経済成長を迎えると燕市は、洋食器の町として繁栄し、
夜遅くまで稼動する工場からは大量の出前注文が入るようになりました。
そこで向上の労働者達に、旨いラーメンでお腹一杯になってほしいとの思いから、
時間が経ってもスープが冷めないようにと、背脂をたっぷりと浮かせ、
麺も延びにくいようにと、まるでうどんのように太くし、ボリュームたっぷりに改良されていきました。
これが燕三条ラーメンのルーツです。