2020年(令和弐年)12月27日、新潟の祖母が102歳で永眠いたしまして。
実父曰く、「眠っているようないい顔だった、102歳なら大往生だ」と。
この御時勢なので、最後のお別れにも伺えず、
今となっては、本当にあの元気なヨミばあちゃんが亡くなったのか、
「まだ生きてるよ」と言われれば、本当に信じてしまいそうな、そんな状況。
そんななか、年が明け令和参年、1月15日に、義父が73歳で永眠。
おんなじ1月が誕生日で、先日私が大分に行ったときも、
「お誕生日おめでとう!」と、ちゃんと覚えてくれて祝ってくれて嬉しかったのだけど。
(でも義父はそういうところが、ちょっと私と似ていたような親近感=私も人様の誕生日は割と覚えているほうなので)
その時は、「お義父さんも、もうじきですね!」なんて言っていたのに、
ご自身の誕生日(1/30)を待たずに、一足先に天国へ。
久方ぶりに、焼き場まで立ち会う葬儀に参列し、
ご遺体、そしてご遺骨と目の当たりにし、
「亡くなってしまったら、本当にもうおしまいなんだな、
こうなってからやりたいことなんて、出来っこないんだな」と改めて実感。
やりたいこと、出来てる?
今、死んだとしても後悔しない生き方できてる?
しばし、自問自答。
多分、人生折り返し地点は過ぎている。
あと残された人生、何が大事か、何がしたいか、ちゃんと考えてもいい頃かと。
そして、同じように、
「親孝行は生きてるうちに」
=親も子供も、どちらが死んでも親孝行は出来ない、と解釈しましたが、
今、わたしに出来ることー。
長女として、姉として、嫁として、妻として、
先輩として、同僚として、友として、同じ志を持つものとして、
何よりも一個人として、出来ること、今のうちからやっておこうよ、
そう思った平成参年睦月。
オトナになるって、考えさせられること多いね…
今更、アタリマエかもしれないけど。
でも、人生って、
自分が楽しくないと人様を楽しくなんて出来っこないし、
自分が幸せでないと人様を幸せになんて出来っこないし。
まずは身近な周りの人たちと楽しく幸せに生きていけること、
そこから考えてみようかな…。
そうなると、まずはこの足枷(アシカセ)の、コロナ&緊急事態宣言、
はぁ、それを思うとまた溜息から始まるのよね…"(-""-)"